中津学園記事一覧

解体現場

1920年(大正9)第15代光徳寺住職を継承した佐伯祐正は、寺院はあくまでも公的存在と考え地域住民の拠点となる地域貢献施設をめざしました。
翌年自坊にセツルメント(隣保事業)「光徳寺善隣館」を開設、途中戦災による一時休館も乗り越え1949年(昭和24)5月、昭和光徳寺保育園開所その後それまでの宗教法人1959年(昭和34)2月社会福祉法人としてさら に活動を広げ中津学園を中心に、グループホーム中津・ケア中津(移動支援)・グループホーム泉尾を開設、今に至っております。

こうした様々な活動を広げ多くの園生やご利用者をお迎えしてきた中津学園も昭和36年の新築から62年が経ち老朽化が進行しており躯体自体の傷みや雨漏りなども発生。
随時行う補修工事もを毎年行っている状況です。

さらにこの状況に加え、将釆予想されています東南海地震による津波などの被害や、園舎背後にある淀川水系による浸水等の被害を考えて、 入所している子どもたちや職員の安心・安全の園舎づくりが急務となっております。

この状況下、社会福祉法人光徳寺善隣館中津学園を支援する法人、組織個人の皆様と共に今般「中津学園園舎建替え工事応援サイト」を立ち上げました。
2023年(令和7)の完成を目指して園舎建替えに向けて、の活動や状況のご案内を本サイトにて随時お送りいたします。

どうぞ皆様、社会福祉法人光徳寺善隣館中津学園の「中津建替えプロジェクト」についてご理解ご協力賜わりますよう重ねてお願い申し上げます。

社会福祉法人 光徳寺善隣館 中津学園のホームページ
◆イメージパース

※セツルメント:困難を抱えた地域に定住し、生活全般に渡って住民を支援する社会事業や施設のこと(隣保事業)。19世紀英国ではじまった。

創設者について
左:佐伯 祐正  右:佐伯 祐三

佐伯祐三作[郵便配達夫] 1928年
chevron_right大阪中之島美術館蔵
佐伯 祐正(1896~1945)
1920年第15代 光徳寺住職。日本最初期のセツルメントである「光徳寺善隣館」を開設。
寺院を公的存在と考え、地域住民の拠点となる地域貢献施設をめざしました。

佐伯 祐三(1898~1928)
光徳寺次男で祐正の弟。大正・昭和初期の日本を代表する洋画家。旧制北野中学(現北野高校)・東京美術学校(現東京藝術大学)を卒業後、パリ・大阪・東京で活動。